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プロローグ2-2/2

    僕は改めてプレイルームの中を見渡しました、2方向に窓があってカーテンがかかっていてその横には全身が映る大きな鏡が立てかけられてあります。その鏡の端には赤い裸電球がセットされていて妖しい明かりが部屋の中を照らし隠微な気持に拍車をかけるのでした。こうして薄暗いプレイルームの中にいるだけでどんどん気持は昂ぶってくるのです。これから一体僕は女王様に何をされるのだろうか。もう一方の壁には鎖や鞭が並べられていて否が応でも妄想を掻き立てられるのでした。頭の中で妄想が一杯に膨らんだとき、ドアの外でヒールの音が「コンコン」とコンクリートの廊下に響き「ガチャ」というドアを開ける音がすると、僕の心臓は爆発しそうなくらい早く脈打っています。ドアが開いてそのヒールの音はどんどん近づいてきます、プレイルームにはもうひとつの扉が閉まっているので一体どんな女王様がいらっしゃるのか僕にはわかりません、ただ、ヒールの音だけが響いて近づいてくるのでした。
 「ガチャ」プレイルームのドアが開けられ女王様が入ってこられて僕をみるなり、いきなり、「お前、どこに座っているの、そこは私の場所なのよ」何もかってがわからない僕はプレイルームのソファに腰掛けて待っていたのでした。慌ててソファから立ち上がり床にすわろうとすると、「正座でしょう」「は、はい」こうして僕は女王様からの洗礼を受けSMクラブ体験が始まったのでした。
 それから何回か同じSMクラブに行きました。特に特定した女王様を指名するわけでなく、SMに触れていたい、とにかくSMという風俗に惹かれました、女性に虐められることの悦びのようなものを感じていたのです。ただ最初のうちは最終的に射精することで満足を得ていたのでした。
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プロローグ2-1

   そうして僕は初めてSMクラブの受付に電話をしたのでした。受付にはSMクラブがはじめてであるということを告げ指定された場所に向かったのでした。その場所は近くにホテルが林立するホテル街のほんのすぐそばの雑居ビルでした。一見普通のマンションにあるようなエレベーターで指定された階に向かったのでした。エレベーターがその階に着き、指定された部屋ナンバーのドアを開けると、受付であろうひとりの女性が待っていたのです。これから何が自分の身に起こるであろうかという不安と緊張が過ぎる一方で目の前にいる受付の女性からはこのお店にくるなんて、なんて変態な男だろうという目で見られているのだろうという恥ずかしさで気持は乱れているのでした。
 「いらっしゃいませ、当店のシステムはご存知でいらっしゃいますでしょうか」「い、いいえ、こういうことは初めてのことでこのようなSMクラブのお店も初めてです」「それでは簡単にご説明します、お客様が女王様に虐められるほうです、お客様のほうから女王様に触れるようなことは禁じられております、よろしいでしょうか」「は、はい」「女王様のご指名はありますか」「い、いいえ、は、初めてなので.....」「それではアルバムの中からお好きな女王様を選んで頂くことになります」「は、はい」「今からですと、この女王様か、こちらの女王様がすぐプレイできます」「は、はい、それではこちらの方をお願いします」「かしこまりました、何か女王様にプレイ内容などでお伝えすることがございますか」「い、いいえ」僕は何人か案内された女王様の中で比較的大柄の方を指名したのでした。「それでは女王様がこられるまでお待ちください」「あのう、シャワーを浴びてもいいですか」「はい、来られるまでシャワーを浴びておいてください、女王様にはお伝えしておきますから」「よろしくお願いしたします」受付の方が部屋を出られたあと、急いで服を脱ぎシャワーを浴びると再びパンツをはきその上にバスタオルを巻いて待っていたのでした。

プロローグ1-6/6

  永い間僕の中で眠っていたマゾヒズムが大病を患ったのに、なぜ、頭も擡げて始めたのか、やはり、この大病「脳幹出血」に起因しているのでした。僕の「脳幹出血」の大きな原因として高血圧があったためで、病気以降、降圧剤を毎日服用することになったのですが、このことが大きく僕の中で作用したのでした。降圧剤はご存知のとおり血圧を下げる薬で毎日服用しているうちに男性としての機能が乏しくなってきたのです、いわゆる勃起不全の状態なのでした。したがって妻との性交渉も僕のほうから遠避けるようになり、完全に勃起しない以上女性に喜んで頂くことも出来ないという想いから女性との性交渉自体に自信がなくなって、全く興味すらなくなってしまったのです。ところが、それで性欲動が全くなくなったかというとそうではなくむしろ時として昂揚したりするのです。
  そうして僕が求めたものは一度封印していたマゾヒズムという性欲動なのでした。この性欲動は通常のセックスを必要としないばかりか、性器以外の体の部位への被虐という刺激によって性的な満足を得るのですから、この僕の今の体には願っても叶ったりの性欲動なのでした。 
  それでも、いきなりSMクラブというのは少し躊躇があって最初に訪れたのはいわゆる痴女コースという風俗のジャンルでした。男性が受身になって女性に甚振られるという内容でけっしてハードなものではなくむしろ甘美な快楽追求型で乳首を弄られたり体を愛撫されたりしながら最後には女性の手によって射精しフィニッシュを迎える、といった内容なのでした。最初は受身という自分の姿だけで満足していたのですが何回か通ううちに封印していたSMマガジンが頭を擡げ始めSMクラブに行って、もっと受身でもっと女性に甚振られたいという衝動に駆られるようになったのでした。そうして僕は初めてSMクラブの門を叩いたのです。

プロローグ1-5

   それからもうひとつ密教以外に新たに興味を持ってはじめたことがありました、それは山登りです。この山登りも今まで全く関心がありませんでした。ところが今回の脳内出血という大病を経験し自分の足で歩けるということが人間にとって本当に幸せなありがたいことなのだと実感すると、無精に歩きたくなったのです。そうして一歩一歩、自分の足で山の登り、登り詰めることの達成感とともに生きているということを実感したかったからなのでしょう。退院して半年くらいたった頃近くの山々を登ったのでした。山のぼりといっても日本アルプスとかそんな大それた登山ではなく近隣の300mから400mくらいの山です。ところがその程度の山と侮っては大変なことになります、山登りを始めた頃、冬山に登ったときのことです、普通のスニーカーという全く無防備な状態で、「まあこれくらいなら大丈夫」と登ったところ、雪が積もっているところはいいのですが、地面が雪で凍っているところを通過しようとしたとき、滑ってあとずさりし危うく谷に落下しそうになったのでした。また上に登れば頂上にたどり着くだろうと登っていっても一向に頂上に辿り着かず、危うく迷ってしまうこともありました。危険な目に何度か遭いながらのこの山登りの行為も修験道というのがあることを知って密教に奥深いところで繋がっているのだなぁと感心しながら生への拘りとして次に僕が手がけたのは自分の中で永らく封印していた本題のSMなのでした。

プロローグ1-4

    それから数ヶ月後退院できる日がようやくやってきたのでした。早速僕は待ちに待った東寺を訪れ、憧れの立体曼荼羅を初めてこの目で見るときがやってきたのでした。東寺は京都駅から歩いて15分くらいの距離にあります、東寺につくと入場券を購入して講堂の中に入りました。中はひんやりとしていてなんともいえない匂いとともに立体曼荼羅は僕の目の前に現れました。真っ先に僕は大日如来の前にいきました。見上げると優しい表情で僕を見やっています、その深い眼差しに触れ、僕の心の中がすうっと落ち着いていくのでした。僕は自然と手を合わせ拝んだのでした。「僕を生かせてくれてありがとうございます」思わず僕の目から涙が零れたのです。こうして念願の大日如来にお会いできこの僕のすべてを包み込む包容力にすっかり心を奪われてしまいました。以来、しばらくは月に2回は講堂に入る習慣になったのです。大日如来以外の仏像もとても素敵な表情なのです、一体、空海はこの立体曼荼羅で何を表現しようとしたのだろう。それかおら僕は空海に関連する本を読み漁ったのでした。読めば読むほど空海のスケールの大きさに圧倒されました、曼荼羅・即身成仏・理趣経。。。。。。

プロローグ1-3

   そうしてその病院で僕は東寺を知り空海に出会うことになるのです。今まで宗教そのものに対してあまりいい印象はなく、ひとつの宗教に凝り固まること自体好きになれなかったこの僕が東寺を知り立体曼荼羅を知ることで空海と出会いそして真言密教という世界を垣間見ることができたきっかけとなったのでした。
 その病院は比較的大きく図書館がありしました。何とか車椅子での移動が可能になった頃、よくひとりでその図書館に通ったのでした。そしてそこで何冊か借りた本の中に東寺の写真集があったのです。その本は有名な写真家が東寺の四季を撮ったものでした。そのなかに東寺の講堂にある立体曼荼羅の写真を見て、「はっ」としたのです。それは今まで大仏といえは奈良の大仏しか見たことがなくなかったので、奈良の大仏以外にも大仏が存在することが以外であったことと、何よりもその仏像のなんとも言えない『包み込むような』表情に惹かれてしまったのでした。以来、僕が一人で歩けるようになったら必ず東寺を訪れて実際に立体曼荼羅を見ようと、それは僕の退院へのひとつの目標でもあったのです。

プロローグ1-2

    以来、マゾヒズムの性癖は僕の外に現れることなく永らく封印された状態で時は流れ、いつしか僕は結婚し普通のセックスをし、ときたま風俗で性欲動を解消していたのでした。そうしてそれから15年後生死を彷徨う一大病魔が僕の体を襲ったのです、脳幹出血です。
 それはクリスマスの日にやってきました、夕刻会社で自分の席についていたときです、突然体が少し重く感じたのです。手をあげようとしましたが自分の思うようにあがりません、最初は少し指先が動くくらいはあったのですが、暫くしてしびれたような感覚で全く動かなくなりました、自分の意思が手に伝わらないのです。それから立とうとしました、しかし、やはり足にこの僕の意思が伝わらないのです。ダランとした状態なのです。僕の異常に気づいた職場のメンバーが僕に声をかけます、「大丈夫?大丈夫?」その声もどんとん遠くなっていき、いつしか救急車がきてタンカーに乗せられエレベーターに乗って運ばれているのでした。すでに呼吸は荒くどんどん周りが暗くなっていきます。「ああ、こうして死んでいくのだなぁ」と思いながら救急車で救急病院に運ばれそれから集中治療室でまる3日間意識はあるものの死んだような状態で過ごしたのでした。ようやく意識を取り戻したとき、まさしく生き返ったという実感とともに生かされた、とにかく、この命を大切にしよう、そう痛感したのでした。それは自分で息をして自分の手を足を自分の意思で動かすことができるという本当に簡単な行為が「なんてすばらしいことなのだろう」とそう感じたからなのでした。

プロローグ1-1

 以前の僕のブログ、「煩悩即菩提」をレコードのA面と例えるのならば、今回のブログ「生死即涅槃」はB面にあたります。
 このB面の「生死即涅槃」を始めるにあたって一度今までの出来事を振り返ってみようとそう想うのです。そのためには「煩悩即菩提」の前に3年間続いた、「ご主人様に捧ぐ僕のM修行日記」という長いタイトルのブログのことからはじめなければなりません。
 この「ご主人様に捧ぐ僕のM修行日記」を始めようと想ったのはタイトルどおりSMと本格的に出会うことになったからなのでした。
 どうして僕がこの年になってSMと出会うことになったのだろう。
 思えばこの僕が中学生の時代、同級生から借りた「SMマガジン」が発端なのかもしれません。当時の雑誌に同じような名前で「SFマガシン」というのがありました、この雑誌はタイトルどおり近未来の小説を集めた雑誌で、僕は最初「SMマガジン」もその姉妹雑誌くらいに思っていたのですが、借りて、読んでいくうちにどうも全く違う趣味の雑誌であることに気づいたのでした。いわゆるサディズム・マゾヒズムの世界を扱った小説集で主流は時代もので女性が男性に甚振られる、そんなストーリーだったかのように思います。ただ、異様に興奮したことだけはなんともいえない性的な感慨とともに甦ってくるのでした。何をそんなに興奮したのだろうか、それは雑誌に出てくるヒロインの女性に自分を投影する(例えば恥ずかしい格好にされたうえで縛られ鞭打たれる)ことで性的な興奮を覚えていたのでした。ところが中学を出てこの雑誌を貸してくれた友人とは違う高校に通うことになったことで彼とは疎遠になっていったとともにこの「SMマガジン」を代表するマゾヒズムの世界とも離れていったのでした。

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